• NVAへ特別ゲストとして山口勝平さんと訪れた肝付兼太さん

肝付 兼太

肝付 兼太(きもつき かねた、1935年11月15日 - )は、日本の声優、俳優、演出家。劇団21世紀FOX主宰。

声優/俳優 肝付 兼太

―まずは声優、俳優と呼ばれる職業を目指したきっかけを教えてください。

肝付:そうですね。もうずいぶん古い話になりますが、まだラジオしかなかった時代に
NHKの「話の泉」と言う番組がありまして、当時公開録音でその収録を観に行ったんです。
それが面白かった。「この場所で仕事が出来たら…」と思ったのがきっかけです。
それに、当時はラジオドラマを良く聴いていました。
こう、なんて言うかね。ラジオドラマだから声だけなんだけど、

聴いてる人をどんどん引き込んでいくような役者さんの演技にね。「いいなぁ」と思った事がきっかけかなぁ。
他にも声優になるまでのきっかけは色々あったんですが。今思うと、22、23才の頃はそんな感じでした。

―その頃は、肝付さんは一般的な会社員でしたよね?

肝付:そうです。高島屋(百貨店)に勤務していたんですが、どうも…自分の性分に合わなくてねぇ。
もう(笑)辞めたくてしょうがなかった。妙にお客さんに諂らわなきゃならない。
「ありがとうございました!」とか「いらっしゃいませー!」とかね。別に言うのは平気なんだけどね。
その大げさに畏まった自分を客観的に観てる自分がいるんですよ。
それで「なんでこんな情けない事やってるんだ?」なんてね。それにもうその頃は「声優」を目指していたんでね。
一日、一日と遅れをとっている気がして早く辞めたかった。
そんな中で当時は、声優になる為の専門学校なんて無いですからね。
どうすればそう言ったラジオまで自分が辿り着けるかをずっと考えていましたね。
そんな中、知人から「芝居を勉強しろ」と言われそして劇団に入り声優/役者としてのスタートを迎えた訳です。

―その20代の頃の思い出深いエピソード等ありますか?

そうですね。結局、その最初に入所した劇団は潰れてしまって…
それで先輩から誘いを受けた、芸能プロダクションに入った訳ですが。
一番最初の転機は藤子アニメ「オバケのQ太郎」への出演ですね。モノクロ時代の最初のQ太郎(
ゴジラ役)。

そこで役につけると、初めてレギュラーに付けるとマネージャーが言ってくれたんです。
その時は嬉しかったんですけど、果たして自分に出来るかな?と不安に駆られた時もありました。しかしやらなくてはならない。
当時は、マネージャーに「あなたはね、スタジオの外では面白いのにスタジオ入るとつまらない」なんて言われていましたから…
あの頃、「自分の面白さ」がいったい何であるか解らなくてねぇ。ずっと悩んでましたよ。
そんな中で、四話目の収録かな、
藤子先生が収録の現場にやって来たんですよね。当時はお二人ですから一緒にね。
その藤子先生が見てる前で、「もうこうなりゃやけのやんぱちだっ!」…とアドリブを入れて好きなようにやっちゃたんです。
そうしたら藤子先生が笑ってくれたんです。お二人が「ハハハハッ」と。
その時、初めて「ああ、自分が何より楽しんで演じなければいけない」と目覚めたんですな。
この時の経験がその後の勇気に繋がりました。そこに気づくまでは大変でしたね。

そのほかにも2度くらい挫折した事があったかなぁ…でもね何とか、石に噛り付いてでも
「モノ」にしようと考えていました。僕にはこれしかなかったんでね。
今、若い方に言えるのはとにかく「辞めない事」です。
時には休息をとってもいいからしっかり考えて、やり直す。そして決して辞めない。
それが大事じゃないでしょうか。

印象に残るキャラクターについて

僕はね、主役が少ないんです。主役でやったキャラクターと言えば「ジャングルクロベエ」ただ、当時ネーミングが「クロ」がいけないとなって、すぐ終わってしまいましたし、一番、アニメで良いアニメだと感じたのは「バーバパパ」。あれは「小原 乃梨子」さんと二人で演じて男性キャラは全部僕がやって、その時はじめて3人の子供の主題歌が出来たのですが、そこで初めて僕が歌ったんですよ。恐らくそれからですよ(笑)「唄う声優」ってのは。恐らく日本で初めて歌った声優じゃないかと。レコードもでました。僕は譜面が読めないし、音痴だけど「なんとかなる!」と思って歌いましたよ。そうとうな試練でしたね(笑)。

ー声優を志す若者に向けて一言お願いします

そうですね。若いみなさんへ…昔ね、外国のアニメが台頭してきてハンナ・バーベラ(アメリカのアニメ会社)なんかが入ってきた時に、そのディレクターが色物の方を好む方で、落語の方や漫才師とかをあえて使う方でね、とある漫才師が来た時にね、僕はいっちょ前に背中叩いたりアドバイスをしたりしてたんだけど、はなし家さんは何を大事にしてるか聞くとね、「ゴマすりですよ」って言う訳です。「ゴマをするのも芸のうち」ってね。その時「なるほど。徹してるな」と感心しましてね。その時「僕ら」はね。「ぼくら」とあえて言いますが、生意気にプライドばかりが先行してたんですがしかしそうじゃない、連中はぼくの事まで「あにさん、あにさん」と呼ぶわけです。彼らはまずひとつの出会いをすごく大事にするというか、「ゴマすり」とは言いながらも、意識的に「ゴマをする」訳ではなくね。それが自然と身についてる訳です。そうすると相手が覚えてくれる。それは時にマネージャーが営業するよりも、強い力を持つことがある。今日の山口勝平君なんかは正にそうです。(インタビュー時は学校ゲストとして山口勝平さんと来校した為)彼を悪くいう人は一人もいない。彼がデビューしたての頃よく言われたのが「肝付さんのところの山口勝平っていう子、礼儀正しくて良い子ねぇ」なんてよく言われましたよ。だからその辺じゃないですかね。

声優と言う職業について。

声優と言う仕事もジャンルが広くてアニメ、映画、コマーシャルだけではなくてね。
昔、TVの企画でね、ハンディキャップを持った子供の夢を叶えると言う企画があってね
ぼくが『じゃじゃまる(ニコニコプン)』をやってた時でね。

そのじゃじゃ丸と結婚したいと言う夢を叶える企画で
新潟まで出張でいったんだけど、じゃじゃ丸がタクシーで到着する訳です(笑)。
僕は影で声をやる訳ですが、相手が何て言ってるかは解らないんだけど、
その時の女の子が非常に嬉しそうでね。
お母さん伝いで「その子にとってはすごく幸せな一日だった」と、
その言葉は嬉しかったですね。

他にも、僕は根っからの野球好きなんですが当時ドカベンと言うアニメで
トノマ君をやっていて当時のオリックスに5位で入団したときに、オリックス球場に呼ばれたんですよね。
それで野球の解説をやったんですよ(笑)それで「トノマ」で答えてくれと…

すると「解説者がどうでしょう?トノマさん今の振りは?」なんて聞いてくる。
それで僕は「なかなか、いい振りずら。」なんてやった訳だよね。
でもね、野球好きなもんでだんだんトノマじゃなくて素の肝付になってしまって。
周りの人間に「すいません、トノマさんでお願いします。」なんて言われたりね。
やはり、この職業をやってるとそんな良い想い出がたくさんありますよ。

―劇団21世紀FOXの主宰、肝付さんとして

僕らの査定としては、読み方が下手だとかそういったものがない。自分が行う演技や生き方で評価が決まる。だから常に天狗にならないように。例え、何千人が声優を目指すとして、その中で自分にしかないもの。何かひとつでも自分に自信が持てれば、その人数は問題ではありません。自分には「これがある!」という何か一つでも良い自信が持てれば、大丈夫だと思いますよ。そして、普段の授業の中で(NVAの学生に対して)ダメだしがでると言うことは、何かに期待をされているという事ですので。めげずに頑張って頂きたいと思いますよ。そこをひとつ乗り越えていけば、何かが待っています。後悔なく頑張ることができれば最終的に「やってて良かった」と思えるわけです。これは、お金には変えられない体験となる訳です。でも、お金も大事だけどね(笑)今日はありがとうね。今から学生さんに会うのが楽しみだね。(※セミナー開始直前のインタビューだったので)
the 業界塾。

第一回ゲスト
 
声優/俳優 肝付 兼太
劇団21世紀FOX主宰。恐らく彼の声を知らぬ人間はこの日本に
存在しないのでは無いだろうか?
『トムとジェリー』『ドカベン』『銀河鉄道999』『怪物くん』
『おそ松くん(イヤミ役)』『ドラえもん(スネ夫役)』…
彼が演じたキャラクターを上げると本当にキリが無い。
 
そして、一度聞くと忘れることの出来ない
その声と演技。
それ故に様々なアニメキャラクターを
演じてきた唯一無比な存在。
肝付 兼太
 
そんな業界の誰しもが認める偉大な声優 
肝付氏に業界で成功する為の秘訣をきいた。